無病息災を願うお茶、大福茶 

こんにちは!日本茶サイト≪en-cha≫ のオーナーでお茶オタクの真弓です。

毎日寒い日が続きますね。

もうお正月も過ぎてしまいましたが、

今回は年末からお正月にかけて日本で飲まれる、「大福茶」について書きたいと思います。


日本で定期的にお茶屋さんへ行かれる方なら年末年始にこの大福茶が売られているのを目にされたことがあるかもしれません。

大福茶とは、この時期に無病息災を願って飲むお茶です。

どのようなお茶かというと、実はいろいろなバリエーションがあり、番茶や玄米茶だったり、黒豆や金箔が入っていたりするものなどさまざまですが、元来の大福茶と呼ばれるものは熱いお湯に昆布と梅干が入ったものだそうです。

私も試しに自分で作って飲んでみました。


大福茶と言ってもお茶の葉は入っていませんので、
何か特別な感じのする味です。



この大福茶の歴史を紐解くと、
時は平安時代、京都で疫病が流行った際、国民から人気のあった浄土教(南無阿弥陀仏で有名な)の先駆者、空也上人が、人々にこの梅干しの入ったお茶をふるまったことで流行りが収まったというところが始まりです。

空也上人、というと聞いたことがない人も多いかもしれませんが、京都の六波羅蜜寺にあるこの像を写真等で見たことがある人は多いのではないでしょうか?

空也上人 Wikipediaより 2021.01.16.


この伝説とも言える徳にあやかる様に時の天皇、村上天皇がこのお茶を毎年お正月に飲むようになり、そこから「王服茶」という名前が生まれたようです。

その後に皇族や貴族の間だけではなく庶民の間でもこの習慣が取り入れられ、名前の漢字がいつの間にか「大福茶」と縁起の良いものに変化していったとのこと。

当時高級品でもあったお茶ですが、この空也上人は惜しみなく人々に振舞ったということで、本当に聖人と呼べる人格者だったことが伺えますね。


今年はもうお正月も過ぎてしまったので遅いと感じるかもしれませんが、

実はこの大福茶、
2月3日の節分でも、新年のお茶、「福茶」として飲まれたりします。

この時は節分で余った黒豆を淹れたりするようですが、
黒豆がなくても、煎茶や玄米茶を普通に淹れて福茶として飲むだけでも良いのです。
要は気持ちの持ちようですから。

ちょっと特別な茶碗等を使って気持ちだけでも福茶、ぜひ楽しんでみてください。

口切の茶事 

こんにちは!日本茶サイト≪en-cha≫ のオーナーでお茶オタクの真弓です。


ドイツでもサマータイムが終わり11月に入って日が短く感じるようになってきました。


そんな冬の始まりですが、茶道の世界では

実は炉に切り替わり、新しいお茶を開封する時なので

まさに茶の湯のお正月の到来でもあります。



今ではいつでも手に入る抹茶ですが、

もちろん昔はそんなに簡単にはいきません。



昔は江戸時代(西暦1613年)、徳川幕府の時に

お茶壺道中という制度が存在しました。


江戸からお茶を運ぶ配下の者たちが京都の宇治まで行き、

5月に摘まれたお茶の葉を茶壺に詰めさせて、

帰路の途中でもある駿河の国(現在の静岡)の涼しい場所で夏の間保管され

秋に江戸まで運ばれ江戸で開封される、というものです。

前に書いた新茶とは全く違った理念で、

お茶を涼しい場所に寝かせることにとってよりおいしくするということがすでにされていたのですね。

お茶壺道中 – panoramio.jpg


お茶壺道中はもちろん今ではありませんし、

自分の家でお茶の葉を保管、石うすで挽くところまでやっている人はきっと稀でしょう。


しかしながら茶道の世界では11月に儀式として

壺からお茶の葉を取り出す【口切】を茶事で行います。


またその年の新しいお茶を使うということですので

茶室の障子や庭に使われている竹などは全て新しく改めたりもします。

茶道のお正月、ということで、

気持ちを改める、新しい気持ちで行う行事でもあるのですね。

口切稽古

和紙で封をしてある壺の口の部分ですが、

これも決まった作法で行われ、

お茶を取り出した後は再び決まった作法にて封がされます。


裏で全てを終わらせるのではなく、

客人の前で全て披露する、というのも茶道ならではですよね。

いかがでしたでしょうか。


なかなか行うことのできない口切の茶事のお稽古ですが、

せっかくのこの季節ですので

割稽古だけでも行ってお抹茶をいただいてみると

また一段とお茶が美味しく感じるでしょう。

日本茶の歴史

こんにちは!日本茶サイト≪en-cha≫ のオーナーでお茶オタクの真弓です。


10月にハイデルベルクの市民講座で行った茶道の授業で、
抹茶の歴史について少しお話したこともあり、


今日は日本茶の歴史について書きたいと思います。



日本にあるお茶の起源はいつなのか。

それは実は現在も100%ははっきり分かっていません。


なぜなら歴史を知るには昔の文献に頼る必要性があり、
そこに載っていなかったらあったかどうかは推測するしかないからです。
(文献があっても信ぴょう性がないとやはり言い切れません)

ただ、分かっていることは2つの起源があることです。

西日本、特に九州の山地で自生していた山茶というお茶の木が
昔からそこに住む人たちに利用されてきたこと。

平安時代に天台宗の開祖、最澄によって中国から輸入され、
中国に憧れていた当時の宮廷で儀式の茶として飲まれていたこと。

日本最古の茶園と言われる日吉茶園

九州の山茶がいつから存在するのかで、日本最古のお茶の起源ははっきりしますが、
文献がないのでそれは今も分からないままなのです。


ただ、それらの文化は結局日本全体には広まらず、

日本茶、お茶文化の普及は鎌倉時代に禅僧の栄西が中国からお茶の種を持ち帰り、
九州の背振山(北九州)で茶園を開き、さらには京都の栂尾(とがのお)に種を贈ったことで始まります。

そこから宇治茶を中心とする抹茶を通して茶道文化が花開いていくのですが、

千利休

その裏で、庶民の間では番茶が飲まれていました。

抹茶は戦国大名たちが好んで飲んでいましたが、
お茶を作っているのはもちろん農民たちなわけで

彼らは上級な葉を摘み取った後の、もしくは野に生えている山茶を
摘み取って煮出して日常的に飲んでいました。

今飲んでいる物とはおそらく違ったものでしょうが、
番茶の歴史は煎茶よりもはるかに長いのですね。

さらに江戸時代、
中国からの釜炒り茶が普及し
濁らず澄んだお茶ということで文人たちから愛され始めました。
(これはのちに煎茶道へとつながっていきます)

そこから碾茶(抹茶の原料)と番茶の製法の良いところを合わせて
永谷宗円によって煎茶が完成したといわれています。

今日本で普通に使われている急須も、
元は中国の茶壺だったものが、煎茶を美味しく便利に淹れるために改良されたものなんですね。

今は日本で普通に人々から飲まれているお茶ですが、
いろんな文化が混ざり合い、需要に伴って成長していったのですね。

そう思うと感慨深いものがありますよね。

歴史とともにお茶のおいしさに浸ってみると、
また風味も変わって感じるかもしれません😊